人々が広告を避けるから広告が過激になるのではなく、広告がとにかく下手でコンテンツの質を落とすから人々が広告を隠すのよな。
人々に広告を見せたいなら、過激な広告ではなくうまい広告を出すしかない。
北風と太陽。
広告自体が本題とは違うレイヤーにあるメタなコンテンツであるということは前提として、それをいかに本編に融和させたり文脈を引き継いだりできるか、というのが広告の難しさなのであって。
それを何も考えず雑にやれば広告がノイズになるのは当然だし、端的に言って広告のウザさはコンテンツの品質の低さそのものでもあるといえる
@keizou ハブとして機能するというのもサービスのひとつのありかたで、それでうまくやれているのが google (の web 検索) なので、 twitter もそういう方向で徹底すればもうちょっとうまくできたのではという気もするんですよね。どこで差が付いたのか……