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他言語を学ぶ意味について考える 

対立関係にある国の言語を否定し、教育機会を閉ざすのは間違いだと思う。

その間違いは「人間の思考は万国共通であり、言語は単なる思考の表現手段のひとつ」という神話から生み出されている。

"はじめに言葉ありき" (ヨハネ福音書 第一章)

物語としての宗教は、思考と言葉の本質的な関係を捉えている。人類共通のユニバーサルな思考があるわけではなく、言語によってそれぞれの言語圏の考え方の違いが生み出されている。

言語は思考プロセスそのものだ。なので、言語の学習は他文化の考え方を学ぶ事でもある。

自文化と他文化のどちらが正しいか、という問題ではない。しかし、まず違いを認識しなければ問いは生まれないし、他文化の考え方が分からなければ、いつまでも理解できない異文化のままだ。

他言語教育の目的はキャリア形成のための単なるスキル習得ではなし、単なる知識の蓄積でもない。教養の醸造だ。

教養の意味は忘れがちだけど「学問の追求による心の豊かさの追求」

豊かな心は他者を否定しないで受け止める。

他言語を学ぶ意味について考える 

@kiguma 「チコちゃんに叱られる」で、なんで国によって言葉が違うの?という疑問に「大事なものがバラバラだったから」という答えで、すごく分かりやすくて納得できたのを覚えてます。
だから他言語を学ぶとその背景の考え方、価値観が理解できるんですよね。平和への第一歩。
なんてことを思い出しました。

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グルドン

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