#GQX ep.11 アルファ殺したちAlphacide 

カネバンがジークァクスのシステムに侵入しようとした時、モニタに"alphacide"と表示されていた。
接尾語cideは直前に置かれた名詞を消去、削除する意味を持つ。(suicide自殺 homicide殺人 genocide民族絶滅)
Ωサイコミュ(ジークァクス)はαサイコミュ(赤いガンダム、エルメス)を文字通り消滅させるためのもの。αは始まり、入り口なので別宇宙への、Ωは終わり、出口なので別宇宙からの質量移動を目的としてるのかな。
最終回のタイトルから、この作品のテーマはメタ的に表現された「ガンダムへの憧憬」なんだろうな。αは富野由悠季監督、Ωは派生作品を生み出してきたクリエイター達。現代に沿った作りにするためにオリジナルの不要な質量をα宇宙に捨てていたら、ファーストを再鑑賞して大きすぎる質量に圧倒される的な。
見事な作劇

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#GQX ep.11 アルファ殺したちAlphacide 

今回納得したこと。

何故GQXガンダムは極力擬人化を避けて無機質にデザインされたのか?
オリジナルガンダムを際立たせるため。キラキラの向こうからオリジナルが出現した時に鳥肌たった。大きな要素はGQXメカとは完全に異質な顔。ファースト直撃世代はあの顔(安彦ガンダム顔)に信仰に近い思い入れがあるんだなぁと痛感。これは映画「レディプレイヤーワン」でも感じた。宇宙世紀以外の世界観でも、オリジナルガンダムの登場に鳥肌が立った。
だからアナザーでもガンダムは成立するんだ。「ガンダムらしさ」はGQXでもいろいろな意見があったけど、それは作劇上の要素ではなかった。ガンダムは宗教のような存在であり、キリスト教の十字架、仏教の観音像のように「視覚的に初代ガンダム(聖典)の要素が少しでもあれば、それはガンダムとして成立する」

初代を観た人がその体験を「奇跡」のように後世に伝え、その伝聞が後世になっても再解釈され伝わっていく。ガンダム的意匠は聖典となった初代へのトリガーであり、世代を超えて聖典に触れようと人々は挑戦と失敗を繰り返す。

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