ダヴィンチの時代、絵画は科学だった。観測し記録を蓄積することで徐々に科学は進歩し、印刷、そして写真の登場で爆発的に進歩の速度が上がった。人間は記憶という制約から解放された。(人形使いが言うところの記憶の外部化)
人から離れた記憶の海から原始のバクテリアのように人形使いという生命体が出現。AIが肉体制約を超えた知性になりうるなら、生命の有限性から生じる煩悩も倫理も超越し、涅槃に達した釈迦みたいなものになるのかな?そもそも肉体的境界がない知性に自我という概念は芽生えるんだろうか?人間は釈迦と人工無能を区別できるのかな。