まぁボクも夫であり父親であり上司なので女性をどうやって活躍させるか?みたいな議論には多少興味あったりするわけです
そこにある興味深い概念の1つが「資本主義的フェミニズム」と「社会主義的フェミニズム」です
欧米側先進国で取り上げられがちなフェミニズムは資本主義的フェミニズムであり、一般大衆レベルでは社会主義的フェミニズムなんて話題にすらあがらないというのが実情で、社会主義的フェミニズムを肌感覚で理解することすら難しくなっちゃってます
そこで社会主義的フェミニズムの触りの理解を補助するテクストがあるので読んでおくと示唆に飛んでいて非常にタメになります
タイトルからして頭をぶん殴られたような衝撃がありますよ
ナンシー・フレイザー「フェミニズムはどうして資本主義の侍女となってしまったのか」
https://thirdfemi.exblog.jp/23471355/
ちなみにこの辺りの議論はココへ繋がるというのはグルドンの諸先輩方には非常に興味深く感じられるのではないかと
富野監督が『戦争は女の顔をしていない』の帯に寄せた“お世辞”の真意とは?【鼎談】小梅けいと×速水螺旋人×富野由悠季
https://ddnavi.com/interview/643316/a/
自分で書いたものを読み返してみて少々わかりにくいなと思った
なので言い換えというか別視点を書きましょうかね
「資本主義的なフェミニズムは女性の経済活動参加、すなわち自由経済市場への参戦をもって男女同権とするが、極論的な男女同権を示すならば男女ともども自由経済市場への参戦しなくても良いことが男女同権ではないか?」
こんな馬鹿みたいな視点を大真面目に捉えるのは現実社会じゃ難しいけれど「参戦」という言葉を敢えて選んだのは現実社会がそういうのを特定の性別へ要請し続けてるからですね
本当にこの辺りの話は難しいのです