タンジェリン・ドリームが現役で活動しているとは知りませんでしたが、日本人の女性が加入していたのは驚きました。
村上 “ポンタ” 秀一、YMOのメンバー候補だった事は有名なのかな。フュージョン扱いされる事もあったYMOですが、ポンタだったら確定だったでしょう。それはそれで観てみたかった。
一発一発に魂を乗せるドラマーでした。ご冥福を。
日本でフェアライトを使い倒していたのはデビュー当時のPSY・S、松浦氏でしょうか。メジャーデビュー前に借金して入手していたはずです。
フェアライトCMIで世界がどびっくりしたのは、やはりArt Of Noiseでしょうか。Mr.マリックの曲が有名ですかね。懐かしのZTTレーベル。
松尾さんの話に出て来たKORGのデュアルボイスシンセ800DVやTR-808登場前のRolandのドラムマシンCR-78は79年リリースのこの曲で多用されてます。プロデューサーは四人囃子の故・佐久間正英。リーダー平沢進は異母犯抄名義で長州力のパワーホールを作ってます。
フェアライトCMIは同時1200〜1300万だった様な記憶があります。日本人で最初に導入したTPOのメンバーであるところの岩崎工(Filmsと言うニューウェイブバンドのメンバーでもある)の曲は当時、カメラのCMなんかで割と耳にしている人は多いと思います。ライトペンの付いたモニターやシンプルなキーボードが特徴的ではありますが、松尾さんが最初に表示させた白い箱こそがCMIです。
小室哲哉が導入、ライブにまで持ち込んでドヤしたシンクラビアなんかは億近いお値段だった気がします。サンプリング音源という意味で庶民的だったイミュレーターですら数百万円。桂文珍が購入した頃は日本語マニュアルも有りませんでした。
思えば僕がWindows1.0で走らせてたシーケンサー、Cakewalkもマニュアルは英語だったなあ。マウスなんか高くて買ってられませんでした。
瀕死の自営デザイナー。素人楽器修理屋。