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ヤマト以降、6年間で30本近く松本零士の関係するアニメが制作された一因。

”松本本人がアニメに強い関心を持っていたことも無視できない。松本は自分の手でアニメを作りたいという思いを長年抱えていた。自分でスタジオを起こすまではしなかったが、アニメに対する執着は手塚治虫に近いところがある。”

「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」…松本零士作品の“アニメブーム”はいかにして起こったか?【藤津亮太のアニメの門V 第92回】 | アニメ!アニメ!

animeanime.jp/article/2023/03/

1977年から1984年いっぱいまで続いたアニメブームを振り返ると、映画『宇宙戦艦ヤマト』(1977)→『機動戦士ガンダム』(1979)→『超時空要塞マクロス』(1984)という流れで取り上げられることが多いが、この流れと並行して2つの潮流があり、ひとつが松本零士が原作・関与した“松本アニメ”の流れだった。ちなみにもうひとつは団塊ジュニアを中心に盛り上がった、『ドラえもん』(1979)を皮切りとする“藤子アニメ”の流れだった。

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