Kiguma on Instagram: "スポーツカーにとって一番大切な要素はパワーではなく、自分の手足の延長になり一体化できる事。
神林先生の傑作SF「戦闘妖精雪風」の劇中、戦闘機の理想系は無人か有人か?という問いが出てくる。人間という脆弱な有機体を保護する為のデッドウェイトは必要なのか?自立した無人機体にすればすべての制約から機械が解放されて、理想的な戦術ユニットになるのではないか?
小説内での回答は、有機体としての人間の不完全さと機械の愚直さが合わさって、一体化した生命体として進化する、というものだった。
自分が自動運転をどうしても受け入れられない理由も同じかもしれない。懐古趣味ではない。運転の手動権を機械に預けた瞬間、ドライバーは運転主体ではなくなる。車が電車やバスとまったく異なる移動体である理由は、ドライバーが主体であり、全責任を負うことにある。
だから車は自転車と同じ、身体と脳の拡張であり、機械に全てを委ねた途端に自我は機械に隷属することになる。
AIの面白いところは、隷属と主体を人間に選ばせるところ。使う人間に主体がなければアウトプットに隷属するしかない。
車は人間と機械を切り離す方向で進化してきた。ノイズを減らし判断を補助する限りその進化は正しい。自分なりの良いスポーツカーの定義、それは人間と機械の距離が近いこと、「乗る」のではなく「着る」に近いこと。
スポーツカーはドライバーを盛るのではなく剥き出しにするのが面白い。#コペン"1 likes, 0 comments - kiguma on April 11, 2025: "スポーツカーにとって一番大切な要素はパワーではなく、自分の手足の延長になり一体化できる事。
神林先生の傑作SF「戦闘妖精雪風」の劇中、戦闘機の理想系は無人か有人か?という問いが出てくる。人間という脆弱な有機体を保護する為のデッドウェイトは必要なのか?自立した無人機体にすればすべての制約から機械が解放されて、理想的な戦術ユニットになるのではないか?
小説内での回答は、有機体としての人間の不完全さと機械の愚直さが合わさって、一体化した生命体として進化する、というものだった。
自分が自動運転をどうしても受け入れられない理由も同じかもしれない。懐古趣味ではない。運転の手動権を機械に預けた瞬間、ドライバーは運転主体ではなくなる。車が電車やバスとまったく異なる移動体である理由は、ドライバーが主体であり、全責任を負うことにある。
だから車は自転車と同じ、身体と脳の拡張であり、機械に全てを委ねた途端に自我は機械に隷属することになる。
AIの面白いところは、隷属と主体を人間に選ばせるところ。使う人間に主体がなければアウトプットに隷属するしかない。
車は人間と機械を切り離す方向で進化してきた。ノイズを減らし判断を補助する限りその進化は正しい。自分なりの良いスポーツカーの定義、それは人間と機械の距離が近いこと、「乗る」のではなく「着る」に近いこと。
スポーツカーはドライバーを盛るのではなく剥き出しにするのが面白い。#コペン".…
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