神としての平和 

本質的に無神論の日本人。だけど「平和」という単語は、海外の「神」に近い共通概念だと思う。
本来、「平和」は状態を表す単語であり、人の営みのスナップショットでしかない言葉だが、我々日本人の心の中には、天上に「平和」という神が鎮座しており、その神を地上世界に降臨させるのがミッションだと信じている。
宗教観の強い国では、それぞれの神の教義をあまねく広めた先が「平和」であり、また狩猟民族的、あるいは帝国主義的国家では、平和とは「敵のいない状態」を指す。(現にロシア語には「平和」に該当する単語がない。「戦争でない状態」という必要があるらしい)
神としての平和と人の営みの結果の平和。
文化や外交姿勢の違いは、この考えの違いから生じているのかもしれない。
これは敗戦国ゆえの世界観なのかな?と思うけど、徳川幕府下で培われた処世術なのかもしれない。

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とすると、戦後の日本人は、神様(アダム)を偶然南極で見つけた世界線の人類なのかな。見つけたアダムには魂がないかわりに永遠の命を持つ。神に憧れた人類は神の似姿(レプリカ)としてエヴァ(戦後憲法)を作る。

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グルドン

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