「AIの教師データへ既存のイラストを使うと絵師の仕事が奪われる」という主張は「一般大衆に教育や道具を与えると我々の仕事が奪われる」と非常に親しい主張なんですよね、隣接・近似していると言って良い
例えば過去の時代に「代書屋(代筆業)」という商売がありました
日本では1600年代に導入が開始された現在の檀家制度の影響によって登場した寺子屋で文字が教えられ識字率が急上昇したため例外的ではあるけれど、代書屋が広く社会へ普及し歴史ある欧州へ目を向けると、代書屋の中には明らかに売れる代書屋と売れない代書屋が存在しました
代書屋は手紙や公的文書の代書をすることで生計を立てる商売なわけですが、依頼者の意志を反映するだけの代書屋の売上になぜ差が出るのか?と言えば欧州の代書屋という存在は詩人とほぼ同義だったからです
代書屋には博学が求められ、歴史学や文学、神学など幅広い知識によって依頼者の依頼内容に合わせてセンスの良い言葉選びをする代書屋が売れた
この能力は特に恋文へ需要があり、過去の欧州人はそうやって関係性を深めていったわけです
では教育が普及した現代で代書屋は需要がなくなり消えたのか?と言えばそうではありません
前述した通り代書屋とは詩人であり、売れていた代書屋は詩人と呼ばれるようになって一般大衆の識字率が向上した世の中で一般大衆へ向けて詩集を出版するようになったのです
ではセンスの良い言葉選びが出来なかった売れない代書屋はどうなったか?と言えば、彼らは彼らで公的文書の作成の仕事が残っていたので現代日本で言うところの「行政書士」と呼ばれている
つまり代書屋という言葉が使われなくなっただけで過去の代書屋は現代で詩人もしくは行政書士と呼ばれているのです
多くの絵師は依頼人からの依頼に応じて絵師の博学を活かしたセンスの良い作品を納品するという仕事でしょうから似たような結果に収束するとボクは予想してます
文字を知っていても代書屋の博学とセンスはついてきません