最近機械学習について思うことは、日本語変換のATOKやSKKのような「アルゴリズムには限界があるからライブラリ物量で殴る」「アルゴリズムには限界があるからアルゴリズムの分岐点を人間に指定させる」というアプローチが一部界隈で持て囃されるんじゃないかなというヤツ
機械学習のいわゆる過学習って日本語変換でいうところのアルゴリズム例外処理の失敗みたいなもんで、より効率的な日本語変換となるはずだったアルゴリズムの改良が結果として非効率化を呼び起こしてしまったみたいな状態なわけですよ
日本語変換を振り返ると結局どこまで行っても完璧なアルゴリズムを作ることが出来ていないので、機械学習も日本語変換と同様の結果に収束しちゃうんじゃないかなと
そのことから、大多数のユーザは自動でレコメンドしてくれる機械学習モデルを採用したサービスを選択するだろうけれど、一部のユーザは機械学習レコメンドの方向性を己が指定できるサービスを選択する将来となるのではないかと想定している