愛って知るまでは本当に意味不明なものだ
息子が2歳のときボクは息子を三輪車に乗せて公園へ向かっていた
公園の近くのお家には大きな犬を飼っていたんだ
そしてたまたま運悪くボクたち親子がそのお家の前を通り過ぎたとき大きな犬はリードをしていなかった
大きな犬は息子を見るやいなや凄い勢いで駆け寄ってきた
その瞬間ボクは無意識に息子と犬の間へ身体を割り込ませた
犬が走って行ってしまったのに気付いた飼い主が追い掛けてきてボクと視線が合った
すると飼い主は恐怖に表情を染めて犬の名を叫んで大きな犬を庇うように覆い被さっていたんだ
飼い主がなぜそのような行動を取ったかと言えば、ボクは振りかぶって今にも拳を大きな犬へ叩き込もうとしていたんだ、無意識で
そして自分の表情が激怒に染まっていることに気付いた
ボクは息子を守ろうと躊躇なく大きな犬を殺そうとしていたんだ
このときボクは初めて「あぁボクは"父親"なんだな」と心から自覚した
若い子はたぶん父親とはそうあるべきだし、そういうものだと思っちゃうだろう
でもね?実際に"父親"の立場を自覚すると、そんな理屈で理解するようなものじゃない
ボク自身の語彙力の問題もあるけれど、この感覚を説明するには「愛」という言葉しか浮かばない
愛と言われれば優しく清らかて温かいものを想像するだろう
でもそれは違って実際の愛はもっと光陰入り混じった複雑なものだ
そして更に言えば愛の形は1つでなく、ふとしたときに「あぁこれも愛だな」と経験し知るものなんだ
愛は善のときもあれば悪のときもある
慈悲深いときもあれば畏怖を覚えるときもある
だからこそ他人の愛は決して踏みにじってはいけないものだ
いつかわかるときが来る
そしてそのときに自分がいくつの愛を踏みにじってきたのか反省する