やっぱり「ホンダとの統合」を断るべきではなかった…日産“元ナンバー2”が明かす日本車への強烈な危機感 海外EVに出遅れた本当の理由――「まじめなモノづくり」が成長を阻んでいた | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
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「あの時、止められていれば…」
当時の生産能力はグローバルで約500万台。それを一気に約700万台に引き上げなくてならなかった。計画の折り返し点だった2013年に「兵站が伸び切っている。工場建設をスローダウンしないと危険だ」と志賀さんは気がついた。ゴーン氏にも計画の見直しを提案したが、ゴーン氏はその提案を退けた。志賀さんはCOOを解かれ、副会長に就任することになる。
「2013年だったら、いくつかの工場建設を止められた。自分が日産のナンバー2にいながら、これは無理だとわかった時に止められなかった。その責任をすごく感じています。そのツケが今の日産に回っているのです」