腐ってきた隈研吾建築のお話をみた。
色々歯がゆい。僕らは既に過去になったポストモダンを軸に勉強してきていてモダニズムは歴史の勉強だった。バブル崩壊前後、既にポストモダンを越えるには新素材でも現れないとねって風潮で建築デザインは表層的なディテールで誤魔化してきた経緯が確実にあった。SNS時代で隈研吾が国民の知る筆頭建築家っぽくなったから目立っているかもだけど、機能的収まりがゴツくて嫌いだった安藤忠雄の建築だって、僕が建築士だった時から雨漏りしていたけど若者は安藤崇拝を止はしなかった。なぜサッシメーカーは安藤の設計を拒絶しなかったのか。設計側と建設側のパワーバランスの問題はあった。僕なんかはYKKに「こんなの出来ません」って言われたもの。
今の隈研吾問題を「あーやっちゃったか」とは思ったけど、最初から心配ではあったよね。でも氏のようなゲームチェンジャーは四半世紀前からずっと必要だった。新機材が生まれないと進化しない音楽と同じ。前世紀からずっとポストモダンを越えられない。
超える必要ってある?って事なんだけどね。
渚モデラートってこんな速かったっけ?
瀕死の自営デザイナー。素人楽器修理屋。