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Fusion360を使ってのモデリング第13弾。
Technics SB-F2。私が社会人になって初めて買ったスピーカー。狭い寮の部屋で重宝した。キャビネットはアルミダイキャスト製。
このモデリングで一番時間がかかったのはパンチングメタルの穴。

私の場合、プラモデル作りにはルーペとピンセットが必要です。プラモデルではありませんがレコードの針の清掃には実体顕微鏡をのぞきながら行います。

献血は機会があれば行っていたのですが一回輸血したらそれ以降献血ができなくなった。未知のウィルスの感染の可能性があるからだそうです。
回数を重ねて表彰で記念品を頂くのが楽しかったのだが。

ウィリアムズ家がチームの経営から撤退ですか。1987年はじめて鈴鹿でターボエンジンの音を聞いたときはしびれました。
写真はウィリアムズFW13/13Bに使われたリア用マグネシウムホィール。外のタイヤは出所不明ですがやはり本物です。現在はテーブルと化しています。

初めて買ったデジカメ。1996年発売のリコーDC-2。有効38万画素。1999年まで使用して以来の電源投入でしたが動作しました。
このカメラのメモリはPCMCIAのフラッシュメモリカードで手持ちのノートPCでデータを取り出すことができました。
撮影結果を見るとアスペクト比がおかしい。このカメラは拡張子がJ6Iで記録するのでJPEGに変換するソフトの問題と思われます。

熊本・山鹿に住んでいるとき、デサキ熊本菊陽店さんのオープニングに伺ったことがあります。あとハンズマンとかゆめタウンとか。

私が乗っている車の場合、クラッチを踏まずにプッシュボタンを押すとACCに。キーの電池がなくなったときにエンジンをかけたい場合はキーをプッシュスイッチに接触させて押すとエンジンがかかります。

中学時代、おもちゃだがタイガーロケッティでロケットの打ち上げを楽しんでいた。

3DOに続いてPSの動作確認。
20年ぶりの電源投入でもちゃんと立上がり、GRAN TURISMOが遊べた。画像は荒いが懐かしい。

セガサターンについでPanasonic 3DO REAL の動作チェック。
1994年発売なので電源投入は20数年ぶり。立上りの画面は出るがそれ以後はブラックアウト。内蔵のCD-ROMの動作もおかしい。

台風が接近するとき、Netatomo(ウェザーステーション)の気圧のデータを見て最接近を確認している。

個人的にはNikonの桁数の多い機種は覚えられない。

2003年に購入したEOS-1Dsの納品書。
EOS-1Dsは1110万画素のフルサイズデジタル1眼レフカメラでEOS-1D(415万画素)の上位機種。
使い始めて2年くらいは動産保険をかけていた。
ハッセルの907X 50Cが安く見える

西川善司の大画面☆マニアで紹介されていた「4K Lag Tester」も興味はあるが楢ノ木技研製の分光器(スペクトロメータ:ezSpectra815V ¥48,400)の方に興味大。

av.watch.impress.co.jp/docs/re

タミヤの1/20グランプリコレクションのフェラーリF189(640)。たぶん15年位前に製作。
デカールを貼った後クリア塗装、研ぎ出し、コンパウンドで艶出しまでした。残念なのはタイヤのパーティングを残したまま。
3Dプリンタがあればプラモデルの部品作りができる。プラモデルは見えないところも凝るのが楽しい。

Canonのインクジェットプリンターのインクがなくなったときに試しに超音波洗浄機で洗浄したらノズル部がぼろぼろになった、

私もシャープを含めて抽選方式のマスクは当選した事が無い。自分で作った布マスクと中に入れる高機能フィルターがあるので数年間使い捨てマスクを買う事は無いと思う。当然アベノマスクなんて不要。ミシンさえあればマスクは簡単に作れます。

私が撮影した641/2。
1990年日本グランプリにて
ドライバー:アラン・プロスト
撮影日:1990.10.20 Free走行
Body:Canon EOS-1
Lens:EF600mm F4L USM
Film:RVP

641/2を組むならこのような資料が役に立ちます。
発行:大日本絵画

2013年、AUGM鹿児島が開催された時、天文館むじゃきで食べたしろくま。かき氷は5年以上食べていないな。

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グルドン

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